北朝鮮からのミサイル危機が迫ってる中、今年はちょっと異例の緊迫した終戦記念日を向かえた訳ですが、 今日はそんな中、予定を変更して"あの凄惨な戦争の傷跡"からレポです。 |
||||||
![]()
|
「−旅をしなさい。どこへむかってもいいから旅に出なさい。 世界は君や、あたながおもってるほど退屈な所ではない。 」 (伊集院 静 -大人の流儀-より) 今年もこの季節がやって参りました… 今年 8月15日で、戦後72周年の節目を迎えた訳なんですが、 私の旅の一つの趣向としまして、「あの時代の凄惨な戦場」を当地に行って自分の目で確かめて見たいというのがございます。 風化した凄惨な歴史をせめて写真にとって後生に残す いきなり堅苦しくなりましたが、写真を撮る仕事をしてる以上…それは私にとっての想ひでもあり、 思い返せば サイパン・ペリリュー島・ヤップ島と、足を運んでは大量の写真を撮り、現地の人に色んな話しを聞きながら、どんどん風化していく風景をカメラに収めてきました。 そんな中、今年は あの時代…最後の最後まで残されたまま終戦を迎えた、南太平洋最大の要塞・ラバウルへ行ってきました。 現在の世界地図では、パプアニューギニアという国のニューブリテン島の東端に、そのラバウルがあるのですが、今も昔もここは「空母が余裕で入るくらいの水深と大きさがある天然の良港」 ここに日本軍は1942年、連合国軍の後方オーストラリアとの遮断を目的に、拠点となる一大航空基地を作り…展開。 しかし、連合国軍はこの「ラバウル要塞」を迂回し、飛び石作戦で北上してちゃたんで、 結果的に占領されずに終戦を迎えちゃったんですね… もちろんニューブリテン島では、水木しげる先生が直に体験された「グロスター岬の戦い」や、度重なる空襲と、マラリア、物資不足から来る飢え…といった想像を絶する"戦場"であったことは間違いないです。 そして、終戦後も… 約10万人の日本兵が戦争終結の報を聞いたのは、 今日…8月17日だったといいます。 ということで本日は、 《【戦後72周年】南太平洋ソロモンの要衝を訪ねて…私が見たラバウル》です。 (…コンテンツのDLは下の【この記事の続きを見る】からです。) |
|||||
|
2017年8月17日
ご注意!
当コンテンツで使用されている全ての写真、情報などいかなる要素も複製、変更、譲渡および貸与など2次利用を禁止します。
閲覧以外での利用は、権利者の著作権を侵害することになりますのでご注意ください。

只今、しろハメのアフィリエイト・プログラムにご参加いただけるアフィリエイター募集中!
★★広告素材も無償提供中!!★★詳しくは⇒コチラから